神戸操練所、閉鎖になりました。
勝海舟、最初の失脚です。
出る杭は打たれるというか、発想が「日本人」すぎました。
理由は、脱藩浪士を抱えていたためとか。
でも幕府は多額の援助をしていたわけどもなく。
結局、尊皇攘夷の動きの中で厄介者にされたってこと。
しかしながら、倒幕の動きの中で海軍は最後の切り札になりました。
函館まで幕府軍が戦えたのも、海軍のおかげです。
その意味で、神戸操練所の存在は大きかったと思います。
亀山社中、のちの海援隊からも有能な人材が出ています。
陸奥宗光なんかもいたのですから。
海に目を向ける発想、それ自体が先進的だったわけですね。