近藤・土方とお墓のことを書きました。
流れで沖田総司の晩年について。
池田屋事件でも有名ですが、沖田は結核でした。
当時で言えば、死の病です。
ですから鳥羽伏見には参戦せず、大阪城にいました。
江戸に戻ってからは、千駄木の植木屋さんの離れで静養しました。
今で言うと、慶應病院の裏あたりらしいです。
一説では、今戸神社(浅草)の近くだったとも言われています。
ここは幕府の医者であった松本良順が近くにいたからです。
死の間際に、毎日見かけた黒猫を気に掛けたといわれています。
おそらくこれは、子母沢寛の創作でしょう。
子母沢寛は、いろいろと脚色していると評されていますから。